石と声と人間の話

地元というには身に染まない、旅というにはあまりに近い場所へ、

海を見に来た。もう本来の役目を終えたという灯台が夜の光を消す。

朝日が昇る。密度の濃い雲の向こうから、鮮烈な光が透ける。

意味を見出さずにはいられない海の遠くを、船が横切る。



「心を動かされた」というテーマを考えると、

もう今年は、名前や属性をまとめたくない、たくさんの人たちとの交点に尽きる。

私はそれを、この先ずっと忘れないだろう。

小学生のころ好きだった、透明な小さいビー玉を詰めた瓶に似ている。

色のついていない、でも表面が虹色のビー玉が好きだった。

つまんで中を除くと、まるく曲がった景色が絵本みたいだった。

そういうものを並べてみようと思う。

私と同じように、今年、もしくは今まさに、

声を出すことに疲れ果てている誰かの目の端に止まれば何よりだ。


例えば、私の母である女性。家族。

私を自由にしてくれた人たちであり、私の呪いでもある人たち。

病的なことに自分でも一切自覚がなかったのだが、

自分が職場でセクシャル・ハラスメントを受け、

それをきっかけにずっと志してきた職業をあきらめたことや、

うつ病を患ったことを、私は同居している家族にきちんと話していなかった。

今年の夏、様々な縁の重なりで、それを母に話すことになった。

母は料理が得意で、家はいつでも清潔に保っていたくて、

私にはきっと結婚して子供を産んでほしいと思っていて、父親の様々な無神経さは、

黙って流すことを期待している人だった。少なくとも私にはそう映っていた。

私の精神がグチャグチャになっていた時も、グチャグチャの言葉で怒りはじめた時も、

「そういうものはどこに行ったってある。上手に受け流す方法を学んだほうがいい」

と言って私の怒りを確固たるものにした。

それでも彼女は私に学びの道を拓いてくれた先達であり、

たくさんの美しいものや綺麗なものを教えてくれた友人であり、

怒らずにはいられない私の本質を最初に承認してくれたメンターでもあった。

そういう人に、私は私の言葉で私のことを話していなかったなと今更気づいて話した夜、

気づいたら彼女は赤ワインを開けてつまみもなしに一人で飲んで、

それからソファでずっと泣いていた。その日話せる言葉の尽きた私が寝室に引っ込んでもずっと。

少したってから、受け流すなんていうんじゃなかったと謝られた。

それから、こういうふうにも話してくれた。

「私は自分の娘がいちばん大事で、ほかの人のことまで広げて考えるのに向いてない。

 だけどあなたはそうじゃないんだね。自分や自分の家族が傷つかずに過ごしていくことよりも、

 次世代の子供たちに気持ちを向けられる人なんだね」

それから、私が結婚や出産について、母から悲しい言葉をかけられたことはない。

ねえ、お母さん、もう死んだ人みたいに自分をあきらめないでほしい。

私たちと、次世代のわたしたちがもっと楽しく最強に生きていくために、

戦える心と、戦うための武器は、たくさんあなたからもらったのだから。



職場でも、名前と発信が直結する場所でも、

今年はたくさん、怯えながらではあるが言葉にした。

私は人間で、すべての属性の前にそのことを覚えていてほしいということ。

私は人間なので、自分の内臓の使い方は自分で決めたいということ。

「その言葉遣いは到底看過できません」、

靴は仕事の内容に合ったものを履きたいということ、

政治の話だって職場でするし、目上だからって言わなきゃいけないと思ったことは言うし、

いい仕事するためにもっとお互いを人間扱いしましょうよ、と。


はっきり言って伝え方は稚拙だったと思う。

私のほうこそ相手を人間扱いせず、差別主義者と決めつけて話してしまったことだって

一度や二度ではなかった。

経験から来る怯えや恐怖から、私の言葉が逃げられなくて、

わかっているだけでもたくさんの人を傷つけたし、

私に見えていないところで傷ついた人もたくさんいただろう。


でも、そういう私に、忘れがたいたくさんのものを返してくれた人たちがいる。

「あなたのような人がいてよかった」とメールをくれた、直接仕事のかかわりがない先輩。

いつも笑っていて、私の猪突猛進を見守ってくれている先輩が、

学生時代のハラスメント経験を打ち明けてくれたこと。

「当時は死にたくてさ」と笑いながら言った先輩の手を握って、

もう笑うのやめましょうよ笑うことじゃないですよと言いながら、

なぜか先に泣き出した私につられて一緒に泣いてくれた頬。

82年生まれキム・ジヨンを読みはじめたたくさんの知人男性たち。

「畑さんの大事なもの」を知って、言葉で尊重してくれるたくさんの人たち。

そうやってもらいっぱなしになっていく度、

私の周りの人たちへの解像度が上がっていくようだった。


私ではない人間が、私とは違う形で大切にしているたくさんのもの。

私とは違う形で苦しんでいること。

取引先のバリバリビジネスパーソンHさんの、

シックな本革のスマートフォンケースに誰かさんが朝貼ったぷっくりシール。

打ち合わせ電話の先で鳴ったレンジのチンの音。

家庭菜園を研究対象みたいにしている人の、太陽と水と土の情報がいっぱいの手帳。

会社の本棚に置いておいた私の本に、誰かがこっそり引いた鉛筆の線。

「できる男」を装い続けている人が、そうしないではいられないだけなのだと

自分で自分を見ているときの虚ろさと激しさ。

毎日頑張っていることが、誰に届くのか見えずに、それでも止めずに

探している人たちの苦しさと報われづらい誠実さ。

変われない自分へのあきらめで、変わりたいと思う自分の気持ちを無視している人たちの傷。


これからの話。

言葉にし、絶望し、憤り、それでも昨日ではない明日を探し続ける毎朝、

今年もらったたくさんの言葉や言葉でない言葉を、100万回思い出すだろう。


少し前まで、そして今も、

私はずっと、私にとって生きるために必要なこと、大切なことが、

時に誰かにとっては不必要で、大切ではないことに絶望してきた。


物語に震えて呻く夜。

私は人間だと伝え続ける言葉。

ひとりで息をする時間。

誰とも体をつなげたくないこと。

私の内臓は、私が使い方を決めたいということ。


それを口に出したとき、「黙れ」と言われることの多さときたら。

知識として感覚としてわかっていても、その刃に慣れることは生涯ない。

あの感覚、物理的にあばら骨が切り分けられたように痛み、

相手の(多くの場合はわたしの目を見ない)視線を無意味に追いかけるときの、

嘔吐しそうな頭痛と、断絶の前で立ちすくむ、足の指の冷たさ。

もちろん私は泣きわめきたい。

その場で泣きわめいて、それで私が人間だと気付いてもらえないか試したい。

だって私は相手を人間だと思っているから。

言葉でわかりあえると、信じて大切なものを伝えたのだから。

せめて、この悲しみをわかってもらいたい。

なのに、たいてい、私はそうしなかった。

自分の心が傷つかないための予防線を幾重にも貼っているから、

その場では自分が泣きわめきたかったことにも気づかない。

自分の感情に気づかず、それでも「笑ってはいけない」と理性が叫ぶ声に従うので、

表情は無になっているだろう。

私はその話と全く別の本題だけを話し、仕事を前に進め、

妙に落ちた食欲に首を傾げ、

家に帰ってから、ようやく思い出す。私は今日も泣きわめきたかったのだと。

私は人間だよ。あなたもそうだろう?そうだと言ってくれよ。そう信じさせてくれよ。

そんな日を何度も繰りかえして、

昨年くらいまでの私は相手を人間だと思うのがつらくなってきていた。

相手が人間だと期待するから裏切られて苦しいのであって、

石のようなものだと思おうとした。風化して砂になるのも目前の石。

そうして私自身が石になっていた。

何も感じていないように見せている、人間の形をした石に。


懲りずに人間として、泣きわめいてみようと思う。

人間なんです、私は人間なんです。こんなこと4000年かけてもわからないんですか、

とうるさがられて殺されるまで声に出そうと思う。

そう思わせてくれる言葉を、今年はたくさんもらった。

来年もたくさんもらうだろう。

そうして体が動かされ、肺がふくらみ、目がちかちかし、

心臓がダブルテンポになり、血が巡って、

心が動いていく。人間の私が生きていく。



祝祭の時期であり、寒さと悲しさでいっぱいになりがちな時期ですので、

最後、この一か月私を温め、動かしている谷川俊太郎さんの詩を紹介して

終わりたいと思います。


<きららかの

 黄金(きん)の楽器に

 憤る

 息を吹きこめ


 冴え渡る

 銀の楽器に

 憧れの

 息を吹きこめ


 ぬくもりの

 木の楽器には

 忘却の

 息を吹きこめ


 肉(ししむら)に

 ひそむこころを

 解き放て

 地平の彼方

 

 我等また

 風に鳴る笛

 野に立って

 息を待つ


 星々の

 はた人々の

 たえまない

 今日の吐息を>

 (『奏楽』/谷川俊太郎)


すてきなすてきなアドベントをご企画くださったはとさんに敬愛と感謝をこめて

(ぽっぽアドベントhttps://adventar.org/calendars/4581 / 8日目)


2019.12.08 畑


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