定点観測200122: なにごとも慣れ

調子がよくなっているというよりは、不調に着々と慣れてきている。うぶなわたくしは昨年末「なんで自分が病なのか」という色々な意味でどうしようもない問いを1日3食問うていてそれがとてもしんどかったのだけど、というか今でもその問いを完全にやめられてはいないのだけど、「まあとにかく私は調子が悪いんだ」とすかさず(概ね)穏やかに答えてあげられるようになってきている、気がする。

自分で自分のご機嫌を取る、なるワードについてもとの文脈や、変わっていった先の不穏さについて見かける。
他の人たちはどうか知らんが、私はまだ自分の不機嫌を見据えるターンにいる。
わたし、わたしという生にくが今という時点に感じ取っている不快感がどこの何に起因しているのか、いままであまりにもあまりにもミュートしてきたことだけは確かだと思う。
例えばこの間妙に寝つけない夜があった。昨年までであれば強引に寝たと思うが、先週の私は「もしかして私は寒がっているのではないか」と思い、(行動に移せたのは翌日でしたが)寝具を足した。気絶するように眠れた。そういうことを、一週間にひとつくらい積み重ねている。
私という人類にとって大きな一歩のように思える日と、これを死ぬまでやるかと思うと死にたい日とあります。
今朝、階段に冬瓜がふたつあると思って怯えて近づいたらひとつはキャベツでした。そういうふうに、思ったよりこわくなかったなあと思いながら暮らしていきたいし死んでいきたいと思う今日。
これはマングローブの苗。ぐいぐい水を飲む。

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