サバイバルとしての刺繍〜映画も観れず本も読めなくなった人のための

あらゆる趣味にはその人固有の切実さが内包されていると思う。私にとっての刺繍もそうだ。「趣味です」と言い切りたくない程度に切実だ。
私に似た切実さ、苦しさを持っている人に刺繍という選択肢をご紹介できたらいいなと思ってこれを書いています。

簡単に自分の状況を記しておく。
昨年秋、重度のうつ状態ですねという診断を受けて帰宅した私は、半ば「そんなわけあるかいな」と思っていたが、診断書も出てしまったし、仕事を休むことにもなった。
単に自覚症状がなかっただけで、私の脳のいろいろな部分には負荷がかかっていたらしい。映画を一本集中して観たり、本を一冊読み通したりは随分前からできなくなっていたし、自分の能動的な意思を持ってそういうメディアにアクセスすることもしなくなっていた。仕事のない日、約束のない日はひたすら、寝て、寝て、寝て、寝過ぎたことに絶望して起きていた。

「自分を休めてくださいね」と言われて、かつて自分がたしかに安らいでいたはずの色々な「休息」がひとつもできなくなっていたとき、どうすればいいのだろう。

もし私と近しい状況にありこの記事を読んでいる人がいたら、物は試し、抑うつをサバイブするための手すさびとして、刺繍をすすめたいと思う。私は、長い抑うつを刺繍に救われたと感じている。

刺繍の利点を挙げる。
・最低限の比較的安価な道具があれば始められる
・スペースをとらない
・図案通りに刺していく簡単なものであれば、ほとんど能動的な頭の使い方をしないため、本や映画の摂取ができないほど弱っていても1針単位ですすめていける

加えて、私のうつの症状として、強い離人感があり、これに刺繍がよく効いた。私にとっての離人感とは自分の肉体から自分が遠く離れ、五感の全てが「他人事」に感じられる症状なのですが。
刺繍を行うことで、かなり指先の感覚を取り戻すことができた。50mほどもあるように感じられた指先までの距離は、刺繍糸をすべらせるごとにあるべき距離感を取り戻した。針を布にくぐらせ、裏地でクロスステッチの丸い針先を受け止めるとき、そこに「自分の体がある」という鮮やかな感覚を得ることができた。そして、刺繍をしているときは自然とスマホを見ることもなく、SNSから離れることができた。依存症の気があり、離人感に悪く作用していた私にとって、これも良かった。

はじめかた。
針と糸と布があればいい。刺繍枠やら、チャコペンやら、そういうものはもっと元気になってからでいい。なくてもできる。欲しくなったら買えばよろしい。
しかし、針と糸と布といっても色々ある。それは確かにそう。手芸店で凄まじい種類の中から「適当に」選択する気力なんてないという方、よくわかる。
なのでキットを買おう。針と糸と布と図案が入っている。私たちがすべきなのはサバイバルであって職人芸ではない。材料を厳選する必要はない。
個人的には、クロスステッチをおすすめする。フランス刺繍と言われる、絵を描くように刺していく刺繍は、刺し方を変えたり図案を写したりと口数が多く、抑うつ状態のわたしには向かなかった。クロスステッチは左上、右下、右上、左下の順でバッテンを刺していくだけ。最初は裏地が汚くてもかまわない。人に売る物ではない。やっているうちに一筆書きの要領がつかめてくる。つかめなくてもかまわない。これはあなたがサバイバルとして行う手芸なのだ。
私はオリムパスのクロスステッチキットにお世話になった。アフィリエイトでも何でもないが参考にリンクを貼っておきます。最初に刺した鮮やかな赤い馬のポーチは、今、刺繍糸入れになっている。おまもりのような馬で気に入っている。サイズもちょうど良く小さいので、まずやってみようかなの方には程よいのではないでしょうか。
やってみて初めて実感があったことなので文章での説明が難しいのだが、綺麗な色の糸で、自分がひとつひとつ刺し進めた跡が残るというのは、いいものです。
いいものだし、抑うつ状態の夕方以降によくある「今日もなにひとつできずに1日が終わってしまった」という立ちすくむような絶望に、少しだけ抗する手段になる。
※そもそもの話として、抑うつの最中にある人間は「何もしない」をしているのであって、それ自体が讃えられるべきサバイバルなのだけど、自分では中々そうは思えないものである。
「私はひとはりひとはり、今日も抑うつやら軽躁やら希死念慮やら副作用やらに抗った。抗って、自分をこの世に縫いとめたのだ」と、目で見てわかるかたちが手元に現れている。それは私を救った。もしかしたら誰かにとっても、試してみる価値があるかもしれない。明日も生き抜きましょう。ひと針ずつ。

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