糸と針の生存闘争日記〜ぽっぽアドベント2021:Day1
皆さん、お元気ですか。
突然の12月開始、迫り来る今年の終わりと年末進行、元気なひとのが少ないでしょうか。少なくとも私は、やべ〜〜〜なんで1日担当しますよ!とか言ってしまったんだ〜〜と己を恨みながら、11月30日の深夜に至るまでこれを書いていますし、多分12月全体をそんな感じで過ごす予感でいっぱいです。今年、秋、あった?(毎年言ってる)
でも、それでも、今年もぽっぽアドベントの季節がやってきましたね。今年も12月1日を迎えた全ての皆さま、おつかれさまでした。
ぽっぽアドベント2021、1日目を担当する畑です。
「私の望みの歓びよ」という今年のお題をうかがったとき、バッハの原曲の持つ跪くことような謹厳さと、それでいて自らの喜びを自ら以外に預けはしないという背筋の伸びた姿勢のようなものを勝手に読みとって、なんて素敵なお題だろうと思いました。
一方、私の望みは、喜びは、と途方に暮れたような気持ちになり、というのも私にとってのこの一年は、望む・喜ぶという機能を半ば失うことからはじまったからです。
なので、12月1日というただの冬の日にひと巡りたどり着いたことについて書こうかと思います。平日で、冷え込みがつらくなってきて、一気に街がホリデー顔を強めるこの日を、また迎えることができたことそのものを、今年の私の喜びとしたいと思うわけです。
具体的には、うつ病:双極性障がいⅡ型の発症と休職に伴って、必要に迫られ自分の発達特性や苦しみを見つめはじめ、生活改善をおこなってきた記録を少し振り返ってみたいと思います。
そして、その傍ら取り憑かれたように取り組みつづけていた刺繍という世界、自分という肉から時にべりべりと剥がれてしまう私をこの世に縫いとめてくれた指先の喜びについても。
きょうこの日に至るまでの、ごく個人的な生存闘争の話ではありますが、少々お付き合いいただければ幸いです。
昨年の秋ごろまで、新卒で入った会社の営業職として、朝は8時から夜は11時までという、常態化すると中々につらい働き方をしていました。フルリモートに移行してそれが家に持ち込まれた結果、24時間メールチェック&着信待機姿勢みたいな生活になり、様々ストレッサーも重なり当然の帰結として心身を病みました。あーあ。
とても重要な打ち合わせがあった9月の朝、どうしてもどうしてもPCのスリープを解除できず、ああこれはもう無理かもしれないとさすがに悟って上司にその旨連絡し、不幸中の幸いですぐに休職することになりました。
この頃の私の「望み」はというと、とにかく空港に行きたかったらしいと、私のTwitterのログは言っています。この辺のこと、少し記憶があいまい。
当時も今もあまり自覚はないのですが、この「空港に行きたい」は、希死念慮の言い替えというか無自覚な表出だった可能性があります。いや昔から空港は大好きなのですが...。
というのは、休職して本格的に治療を始めてから、自覚症状としても、希死念慮がかなり強く現れてくるようになったからです。
上記のツイートをしたとき、親しい人から割と真剣なDMをもらい、空港まで一緒に行こうか?それか近くまで行ってお茶でもする?と声をかけてもらったことは、よく覚えています。
ありがとうございます大丈夫です〜、とはんぺんみたいにへにゃへにゃスカスカな返事をした私の自己認知よりも、声をかけてくださった方の危惧が正しく、私はあの時、実際ちょっとやばかったのだろうと思います。
行きたかったのは空港だけど、やろうとしていたことは空港に行くことではなかったのかもしれない。
休職するにいたっても、私は全然平気なのに休んじゃっていいのかなと思っていた。全然平気なのにな。ちょっとパソコンが開けないだけ、ちょっと眠すぎるだけ、ちょっと人混みが苦手になって、ちょっと長い文章を書いたり読んだりできなくなっただけなのにと。
しかし、休職に入ることになったとたん、逃避的に「ちょっと○○になっただけ」と言っていた全ての症状が逃れがたい現実のものとして立ちはだかってきました。
私の場合、うつ病の治療は服薬と休息=正しい生活リズムで起きて食べて寝ること、を主軸に進めていくことになったのですが、上述のように、
・長い文章が読解できない
・抽象概念を理解するのが難しい
・音・映像を一気に処理できない
というような形で脳の肉が縮んだ私は、これまでの人生で余暇をほぼ全て注ぎ込んできた「本を読む」「映画を見る」という喜びを一旦失うことになってしまいました。
そうなると、日中本当にやることがなく、抑うつ状態の人間にやることがないとろくな考えが浮かびません。
フラッシュバックのように、昔の嫌なできごとや、後悔している自分の言動行動が空っぽの時間の中で繰り返し襲ってくるので、逃げ場のないうずくまりを繰り返す日々でした。
↓この頃書いた日記の一部。切実。
抑うつやフラッシュバックから逃げ込む先をとにかく探していたところで、刺繍に出会いました。
きっかけは二つあって、ひとつはフォロワーさんにメッセージボックスで教えていただいたこと。「眠れない夜をどうやって乗り越えてますか」というような募集に対して、手仕事はいいぞ、とおすすめいただいたのでした。本当に感謝しています。
もう一つは、見るでもなしに流れていたNHKかなにかのドキュメンタリーで、ギャッベ(手織りの絨毯)を織るイランの女性たちのドキュメンタリーを見たことでした。草原や岩場に直接織機を広げて座り込み、空の下で、自分の思うままに模様と祈りを織り込んでいく女性たちの手元が不思議と頭に残っていました。
ちなみに刺繍というか手芸全般にまったく縁がなく、知識も道具もありませんでした。
まあ、どうせすることもないのだし、と初めて小さなキットを買って刺したのが、この小さなダーラナホースです。
きれいな色の糸、つやつやでするする滑る糸を指先で扱って、美しくてかわいい模様を紡いでいくこと。
自分を「基本、生ごみのように汚いもの」と感じていた私にとっては、つかの間そのこびりつくような気持ちから鮮やかな色糸が守ってくれたような気持ちになったのを覚えています。
余談ですが、クロスステッチという技法も、キットを購入したことも、偶然ではありましたが、抑うつ状態の人間がやる手仕事として合っていたのだと思います。
刺繍もいろいろありますが、クロスステッチは最小単位の作り方が「糸でばってんを描く」という極めて単純なものなので、無気力の化身でも理解できました。
また、オリムパス製糸さんが出しているキットは、針もキットに同梱されているので、別に道具を調べて揃えたりしなくてよかったのでした。多分その工程を要求されていたら、すぐに諦めていたと思う...
きれいな色の糸と布に守ってもらえるのが、ベタベタと澱んだ暮らしの中で唯一の光明のように思えて、キットをいくつか買いました。
↓ 季節のかざりものとして今月も活躍しているにわとり。かわいいね
在職中から自覚症状があり、抑うつのピーク期にずっと悩まされることになったひとつの症状に離人感というものがありました。
個人差はあるようですが、私の場合、「自分のまわりの音・景色・事象が“自分のまわりのこと”と思えなくなる」「自分の手足の動きに実感がなく、ものすごく遠くのことに感じる」という症状がありまして、かなり生活に支障をきたしていました。
まったく思いがけないことではあったのですが、刺繍はこの症状に対して、不思議と頓服薬のような効用がありました(もちろん全然だめなときはだめでしたが)
糸、針、布の心地よい触感を常に指で感じながらする軽作業、糸をしゅっと引いて模様を縫いとめるごとに、私という人間から遠く剥がれていた「実感」を今ここに文字通り縫いとめるような感覚があったのでした。
↓これはミモザの花束。少し大きめの図案に進んでみている。
「何もできなかった日」という負債が積み重なっていくように感じられていた私にとっては、そういう日々のいくつかを「2cmくらい綺麗な模様を刺繍できた日」に名前をつけ直せたことで、夜眠るのが随分楽になったりしました。もちろん、刺繍もできないよ、という日もたくさんありましたが...。
↓とにかく完成まで時間を稼げる作品がやりたくて手を出した巨大な野いちごのテーブルセンター。刺しながらたいへんすぎて普通に悔やんだ。
椿の葉を刺しているときに、通院中椿の木を見つけて、葉の形からそれとわかり、周りの景色からも実感が剥がれがちだった私にとってはそんなことも得難い体験だったりしました。
ところで、手芸という世界では、便利な補助道具がたくさんあります。針いっぽんのみで刺繍をはじめた私は最初刺繍枠どころか針山も使っていなかったのですが...(使いなよ)
たとえば、刺繍枠を使ってみると、頑張らなくても綺麗に仕上がる、糸や針の出し入れで布のふちを手がこすらないのでほつれなくなる、など先人の知恵と工夫の結晶に跪いて感謝したくなるくらい便利でした。
「不便だな、やりにくいな」と思う点について、それをすかさず解消する補助道具が存在する手芸界で感動しながら、徐々に「自分の生活だって、自分がいろいろなことができなくなっているからって、自分が心地よく暮らせるように工夫できるし、してもいいんじゃないか」と発想できるようになった気がします。
顔を洗う、髪を洗う、体を洗うといった日常タスクにすごくすごく時間がかかるようになり、あるいは無気力に押し潰されて実行できなくなったりしていた(今もしている)私でしたが、その頃までは「風呂も入れないなんて」「顔を洗えないなんて」「こんな当たり前のこともできないなんて」、とひたすら自罰的な吐き気を催し、そんな自分がベタベタして不快で汚いのはしかたのないことだ当然だと抑うつを強めてすらいたように思います。
でも、「不便は道具で解消してよい」と刺繍の世界に肯定されたことで、何ができなくなくなっていても、清潔で心地よい生活を送っていいのだし、そうできる道具がきっとある、と思えるようになったのかもしれません。
たとえば顔を洗いに起きられないなら、ふとんの中にいても顔がさっぱりできるように拭き取りグッズをベッドサイドにそろえよう、という生活改善はすごく効を奏しました。このときも、拭き取りを自分で比較検討する気力がなく、Twitterで教えていただきました。そうやってお知恵を借りればいいのだというのも発見ではあった...。おすすめしていただいたピュアヴィヴィのクレンジングウォーター、今でも使っています。
自分の不便を知るということは、自分の苦しみを知るということにつながっています。
自分がどんな「ふつう」を受け入れがたく苦しんでいるのか。何がどのように起こったときに、嫌だなあと思うのか。
私はこれまでの人生で、そういう苦しさをミュートして「とりあえずやってしまう」という選択をしてきたのでしょう。それはのちに診断を受けた私の発達特性によるものでもあったとは思うのですが。
でも、私が知らんふりをしていても、実存する私の身体という肉は苦しみを感じていて、ミュートしたからといって無かったことにはならなくて。その反動が一気にきて、大好きだった何もかもから切り離されてしまったのでしょう。
でも、その苦しみを直視したとしても、それは何もかものおしまいというわけではもちろんないのでした。自分の苦しさを和らげる生活改善の道具を見つけるたび、「自分と同じようにこれがしんどい人もいるんだな」と、遠くの先人と手をつないでいるような気にもなれました。
自分の苦しさを無視したり抑圧せずにちゃんと認知すること。
このあたりから、セルフコンパッションと言われる自分との関わり方の手法の入り口に立つことができるようになった気がします。
↓眠れない夜は刺繍するの図
クロスステッチ刺繍のよいところは、どんな途方もない巨大図案でも、ひとめずつ刺していけば、いつか絶対に完成にたどりつく、ということが体感できることかもしれません。
それは抑うつの底で刺繍に出会った私にとっては、何ひとつ回復の実感のない日々であっても、積み重ねていけば、少しずつマシになるのかもしれないという少しの実感と大部分の祈りとも重なりました。
こういう巨大な日本画とかも刺していくといつかできあがるのでね。
希死念慮というのは、特殊な人たちが俯いて入っていく入江のようなものではなくて、どんな人の生活の横にも流れていて、日によってはお日様すら差し込んできらきら流れている側溝のようなものだと思います。
その側溝に一生気づかずてくてく歩いていく人もいれば、一歩横に移動すれば側溝があるのだと気づく人もいるということなのでしょう。そして、側溝がひどく増水しているタイミングで足をすべらせることさえある。
暗いことを言うようですが、今後症状がどんな形で寛解しようとも、私の(そして全ての人の)道のかたわらに側溝はあるのだし、足を滑らせてしまうかどうかに至っては、最終、運みたいなところがきっとあって。
あんなに空港に行きたかった私が結局そうはしなかったように、たまたま道側に戻ることもあれば、そうはならないという可能性だって常にあるわけです。もう運。最終。
でも、こうやって自分の刺繍が残るというのはすごくいいことだなと思うわけです。毎日、すこしずつ抗ったこと、自分の苦しみをみつめてよりよく生きられるように工夫したことが、自分の体の外に、美しい糸の重なりとして残ること。確かな喜び。
去年の今頃の日記を読むと、形は違っても、ある種の健やかさといえるものを勝ち得ていますようにと切実に願っているのがわかります。
そして2021年12月1日の私は答えたい。
また、今日にたどり着いてるよ。
なんとか、ひと目ひと目、生きてこれてるよ。
大丈夫だよ。
明日や来年がどうなるかはわからないけど、今日だってだいぶ抑うつの野郎はぴったり寄り添ってきているけれど、私が見つけようとする限り、私という、暮らす肉の中に、喜びはあるのでしょう。
今日も今月も来年も、ひと目ひと目生きていけますように。
ぽっぽアドベントを、今年も主催してくださったはとさんに心から感謝し、「今年も」と書かせていただけたことにお礼を申し上げたいと思います。
なんだか薄暗い記事が初っ端にきてしまい恐縮しきりですが、私もひとりの読者として、みなさんの記事を楽しみに、日々の喜びに、今月を暮らします!
明日のご担当はチグリスさん(@chigurisu)です!クリスマスまで、あと24日!
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