私たちは「迷惑をかけて申し訳ない」のか?~『つらいことリスト』が楽にする今日と、ないほうがよい未来

こんにちは。畑です。
『生活の中の“ふつう”が今つらい人のつらいことリスト』と題し、
さまざまな理由で、生活の中の、一般的に「ふつう」とされていることの実行に困難を抱える人が、それを他者に共有するためのツールと付属説明書を制作しました。

https://agniculture.amebaownd.com/posts/40157434

このツールを作った理由

私自身、双極性障がいとうつ病を持ち、ADHD傾向を持つ、生活に基本困難しかない人間です。たくさんのことができなかったり、できてもとてもつらかったり、一日寝込んでしまったり、できるときとできないときにムラがあったり……

ただそれだけでも大変なのに、「それを同居者に理解してもらう」ことに、ずっとずっと苦しみを感じてきました。

自分自身の思考力が弱っているとき、生活の中で立ち尽くして困っているときに、その上それを、他者にわかりやすい言葉で・順序だてて整頓して説明するなどということはほぼ不可能です。

「〇〇もできないなんて、どういうつもりなの?」

「もっと〇〇したほうがいいんじゃない?」

「どうして黙っているの」

時に怒りをこめて、時にもしかしたら善意をもって、責められたり、強い言葉で問いただされたりするたびに、ただでさえ、つらい気持ちにとどめを刺されたような苦しみを感じます。

誰にも何も言われなくても、自分自身ですら自分に対して、

「なんでこんなこともできないんだろう。できなくなっちゃったんだろう」

「こんなこともできないのに、この先暮らしていけるのかな」

「もっと〇〇したいのに」

という言葉をかけてしまうようになりました。

「誰か、私のかわりに、私のできないことを説明してよ」

ずっとそう思っていた私のために、こういうツールを制作しました。

『つらいことリスト』が楽にする今日と、ないほうがよい未来

このツールは、
・「できる人」に対して
・「できないことがある人」が
・理解・配慮を求める
構造になっています。

そのこと自体がおかしい、と製作者である私も強く感じています。
「迷惑をかけて申し訳ない」という言葉に代表されるように、
”配慮していただく側”が常に言葉を尽くして説明し、その上で”謙虚でつつましい”振る舞いをして、”わざわざ手間をかけて理解・配慮してもらうことに感謝する”……。
こういうツールがあることは、そうしたエイブリズム(:能力のある人が優れている・「できる」ことが普通であるという考えに基づいた差別と社会的偏見)を温存し、拍車をかけてしまうのかもしれません。
間違いなく言えることは、このツールによって
・「できる人」に対して、
・「できないことがある人」が
・理解・配慮を求める
構造そのものを変えることはできないということです。

すべての人は、
そして私たち、生活において困難に直面する人々は、
「迷惑をかけて申し訳ない存在」では断じてありません。
変えるべきは、画一的な人間しか想定せずにつくられた社会の仕組み、
生活の仕組みであって、私たちではありません。

それでも、私たちが今日を、より楽に、より確実に生き延びるために、
生活を共にする人や、一緒に時間を過ごす人に対しての
説明を容易にするツールが、『今ここに』必要だと思い、こういったものを制作しました。

こういうツールが徹底的に「あたりまえに」批判され、
こんなものがなくてもよい社会を目指し、私も自分にできることを引き続き実行しつつ、常に考え続けていきたいと思います。



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