#01 その道を往く人なしに
はじめてのかなしみは
涙とりんご
ふたたびのかなしみは
叫びと海
三たびめのかなしみは
沈黙と小石
かなしみに耐えようとして
人はかなしみを見失う
四たびめのかなしみは
冷笑と雑踏――
そして最後のかなしみはもう
夢の中にしかない
引用「かなしみについて」
『空に小鳥がいなくなった日』/谷川俊太郎
「冬が来ます」
円卓の朝議――というほどいかめしいものではない、やることだけは山積しているこの城で朝一番の話し合いというだけである――で、普段からのしかめ面をもっとしかめて、サー・ベディヴィアが重たく言った。
円卓の各々はというと、それぞれに調達した朝飯を頬張りながら、それぞれの度合いで顔をしかめた。度合いに差こそあれ、皆に共通していた思いといえば、この慌ただしい十数日を通じたものに違いない。即ち、時間は、待ってくれない。
冬が来るのだった。
人間の小さな社会の中で、ひとりの王が斃れ、またひとりの王が起ったことなどおかまいなしに、今年も冬がやってくる。さきの季節まで城下で暮らしていたものばかりの騎士たちは、備えても備えすぎることはないのだと肌身で判っていた。
「戴冠式の準備も進めねばなりませんが、城として冬の備えに動き出すには、遅れておるのが事実です」
「そうだよなあ」
アーサーは腕組みをして背もたれに反った。
正直、自分の戴冠式など、簡単に済ましてしまえばいいと思う。思うのだが、数日前、ピンと手をあげてそれを言ってみたところ、比喩でなく、ベディヴィアの血管が軋む音が聞こえてきたのであった。血管浮き出る元鍛冶屋の騎士曰く、ただの儀式ではなくこの少々力ずくでの王位奪還をあくまでも正当なる王の継嗣の帰還として民は勿論のこと対外に向け明確に示すためにも云々。わぁーったわぁったと適当に聞き流そうとしたアーサーは、『少々力ずく』のくだりで器用に鼻から音を立てたビル共々、国家儀式の重要性についての講義を一から聞かされるはめになったのだった。おのが無知を自覚する若き王として、同じ過ちを繰り返しはすまい。
「もう、刈り入れの時期は終わりかけだもんな。城下じゃ保存食づくりが始まってるはずだ」
「つつがなく進んでいればよいのですが…ロンディニウムでは、娼館の火から随分燃え広がったと聞きます」
胸の中にある生傷が鈍く痛むのを感じ、アーサーは重い息を吐いた。トリスタンは茹でた卵をかじると、思案顔で腕を組む。
「ヴォーティガンは周縁のヴァイキングをほぼ野放しにしてたからな。沿岸の漁村、報告が挙がってきているところだけでも、かなり厳しい」
「――まずは、実態を把握されることかと」
パーシヴァルがゆっくりと口にする。
「くには今混乱の中にあります。周縁の村や町では、ヴォーティガンが斃れたことすら伝わっていないやもしれません。戴冠式を早々に執り行い、伝令の早馬にて即位を知らしめると共に、まずは足元の城下より、今、どのような状況となっているのかを正確にとらえなければなりません」
「冬支度の話だけじゃないぞ、『陛下』」
干し葡萄の枝を折って、それまで無言だったビルが口を開く。
「血統の正当性があるとはいえ、ヴォーティガンと似たり寄ったりの方法で王位を獲ったことに変わりはない。何か後ろめたいところでもあるのか、今のところ王弟派の貴族は静観しているようだが」
「残念ながら、サー・ウィリアムの言う通りでしょうな」
「ジョージ、今更その呼び方やめないか?」
「何故です? サー・ウィリアム」
「……いや、別に」
「仮にも元騎士のくせにいい加減慣れろ、『サー』・ウィリアム。陛下のことを言えんぞ」
ベディヴィアにむっすりと両断されてビルは不服げな顔をしている。
「――よし。一度見に行こう。それが早い」
「陛下。よし、じゃありません」
「何だよ、ベディヴィア」
「何だよでもありません。あからさまにわくわくした顔して」
「ベディヴィアこそ、そんな熊の肝なめたような顔するなよ。人手も、城下の『耳』も足りないんだ。それこそ、俺が戴冠前に王として城下を視察に訪れるのは、民への示しとして有効なんじゃないのか?」
「――言い訳ばかり達者になりおって」
一瞬レジスタンスのボスが顔を出したような気がしたが、アーサーは素知らぬふりで城下視察を押し通した。トリスタンやビルに至っては、こういったことを言い出したアーサーを止められるわけもないと割り切っているのか、もう朝食に専念している。ベディヴィアも、不機嫌を眉間に大書したまま、やたらと力を込めて茹で卵の殻を粉砕し始めた。
アーサーは内心、少しだけ安堵していた。出口の見えない悪夢も、終わりのない責務も、隅から隅まで知り尽くした町の空気を吸えば、どこかに糸口を見つけられるような気がしていた。
◇ ◇ ◇
その夢はいつも、父親のうなじから始まる。それは、夢というには明確で、幻覚というには無慈悲な、明け方の一瞬だ。
夢の中で目を醒ます、という矛盾した現象に、胃の腑が蠢くような不快感をこらえながら、瞼を持ち上げたアーサーの眼前には、臣下のように跪いた父親の姿がある。無駄のない筋肉のついたうなじが持ち上がり、アーサーを無垢な瞳が見上げる。父親の姿をしたものの、瞳はいつも通り澄んでうつくしい。
――ひとあし、距離を詰めようと動いた。そうして初めて、アーサーは自分が裸足であることに気が付いた。今まで全く気がつかなかったが、夢の大地は、細かな、角の丸く白い石でできていた。踏みしめると、さり、と軽い音がする。
(なあ、)
アーサーは、父親の――ユーサーというらしいこの人の顔を、鮮明には覚えていなかった。悪夢の中でおぼろげに知ってはいたが、小さな自分の目で見た父親は、恐らく本物のそれよりも大きく、頼もしく、そしてどこか悲しげな影として現れるばかりだったのだ。選別の日。アーサーが両の掌で聖剣の柄を握ったあの日から、『父親らしき影』だったものは、空恐ろしいほど鮮明に像を結び始め、今となっては、アーサーが意識を持ったまま見る奇妙な夢の中の、奇妙なものとしてあらわれている。
(あんたはこんな顔をしてたんだな)
覚えていないのに、それは確信なのだった。この夢が結ぶ父親の姿――それが父親そのものでは決してないのだという確信と同じほどに、この像そのものは正しいと、これが自分の父親という人の姿であったはずだと、アーサーのどこかが知っている。滑らかな額。意志の強そうな、しかし優しげな眉。目元の小さな皺。そして今にもほころんで、語り掛けてくれすらしそうな唇。
血の通った、生者の。
それでいて、一言も発しない、やはり父親ではない、しかし姿だけは父親そのものの。それ故に、アーサーは触れ、撫でて、確かめずにはいられないのだ。それが確かに父親ではないということを、己の掌で認めなければ、いつかこの夢から醒められぬ日が来ると知っている。
父の頬を撫でたはずの手には、いつも氷のような、つめたい鋼の感触ばかりが残っている。アーサーは繰り返し安心し、そして、同じ数の絶望をする。
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